** 一歩ふみだす **


 今日も清々しい朝です。ベッドの上、朝日の降り注ぐ窓の外をぼんやりと眺めます。少々寝不足であるわたしには、その爽やかな朝日の光が眩しすぎる気もしました。
 ……いいえ、朝日は生物の目覚めを促す素晴らしいものです! 自分の不摂生を理由に悪口を言うなんてもっての他です!
 わたしが寝不足なのには理由がありました。今日は3月14日。人間界では「ホワイトデー」という日にあたるのだそうです。 つい一ヶ月前に知った「バレンタインデー」と対になる日だと、天使さんに教えていただきました。
 つまり、バレンタインデーがチョコレートを渡す日なら、ホワイトデーはそのお返しをする日なのだとか。
 バレンタインデー当日、そもそもバレンタインデーそのものを知らなかったわたしは、誰にもチョコレートを渡してはいません。しかし貰ってはいます。 つまりお返しをしなくてはいけないのです。
 ……ラーヘルに!
 ホワイトデーというものを知ってから一週間、わたしは悩み続けました。 お返しはマシュマロやクッキーが定番らしいですが、バレンタインデーのように定形がある訳ではないそうです。
 しかし、わたしが悩んでいるのは「何をお返しにすればいいのか」という点ではないのです。
 ラーヘルにいただいたのは手作りのチョコレートケーキ。この「手作り」という点がわたしを悩ませているのです。
 お返しならば、いただいたものに相応のものでなくてはいけません。つまり、わたしも「手作り」で返すべきだと思うのです。
 ですがわたしはキッチンという場所に一度も立ったことがありません。お菓子はおろか料理を作ったことがありません。 調理前の食材、調味料といったものに一切触れたことがないのです……!
 このことを天使さんに訴え協力をあおぎましたが、「神様にそんなことはさせられません」の一点張りで断られてしまいました。 しかし既製品で済ませるのは、なんというか、わたし自身が許せないのです。
 そこでわたしは考えました。


「ラーヘル、おはようございます!」
「……おはようございます」
 蝶つがいも跳ね飛ばさん勢いで扉を開け執務室に入ってきたわたしに、ラーヘルも面を食らった様子でした。
 ぽかんとした顔をするラーヘルはなかなか貴重なのですが、わたしにはそれを気にする余裕はありません。 緊張で心臓は高鳴って、自分がまっすぐ歩いているのかどうかも不確かです。
「……まあ、元気があるのは良いことですね。何があってそんなにテンションが上がっているのかは知りませんが、早速今日の仕事について……」
「ラーヘル、お願いがあるんです!」
 もちろん、このときのわたしはラーヘルの言葉を遮ってしまったことに気付いていません。テンションが上がっているというより、パニックに陥っていました。
 わたしはこれから、ラーヘルに「お願い」をします。それはラーヘルが何より大切にする「神様としての仕事」を今日は見逃してほしいというものでした。
 そんなことを頼めばラーヘルの不興を買うことはわかっています。ですがもう、これしかないのです!
「わたしに、お菓子作りを教えてください!」
「…………」
 ラーヘルは何も返してくれませんでした。その事実は、ギリギリの場所へ立っていたわたしをさらに追い詰めてゆきます。 スカートを握りしめ、ぎゅっと目をつぶりました。ラーヘルの顔を、怖くて見ることができません。
「き、今日はホワイトデーだと天使さんたちから教えていただきました!  バレンタインデーのお返しをする日と、わたし、バレンタインデーにはラーヘルからケーキをいただいてます!  だから、お返しがしたくて、手作りしていただいたので、わたしも手作りで返したくて……!  でもあの、わたしはお菓子作りをしたことがないので、ひとりではとても作れそうになくて……。  あの、天使さんたちにもお願いしたんですけど、神様にそんなことさせられないって断られて……、だから後はラーヘルに教えてもらって作るしかないと思って……」
 いくら言葉を重ねても、ラーヘルは何も言ってくれません。
 ああ、だってこんなのただの言い訳です。こんなことが、仕事をしない理由にはならない。
「……ごめんなさい、ラーヘル。忘れてください……。あの、当日には間に合わなかったですけど、ちゃんとお返しはしますから……」
「神様」
 名前を呼ばれ、わたしは思わず大きく震えてしまいました。ラーヘルの声は平坦で、怒っているのか呆れているのか全くわかりません。
 続く言葉を待って縮こまる私の頭上で、ラーヘルがフッと吹き出す音が聞こえました。
「何をそんなに怖がっているんです。別に怒っていませんから、顔をあげなさい」
「ラーヘル……?」
「確かに、お菓子作りが仕事を休む理由にはなりません。私に協力を頼みたかったなら、せめて昨日の内に言っておくべきでした。 当日の予定を変えろと言われても、それは無理ですし迷惑です。わかりますね?」
「……はい」
 目を開けて見たラーヘルは、いつも通りでした。いつも通りの微笑みでわたしを見て、ゆっくり言い聞かせるようにわたしをさとします。
「ですが、神様が手作りに手作りで返したいというお気持ちは、とても嬉しく思いますよ」
「えっ?」
「普通は渡す相手に教えをこうたりしないものですが……。私は味にうるさいですからね、下手なものを出されるよりは丁度良かったのかもしれません」
「ら、ラーヘル、じゃあ……」
「ただし今日はだめです。明日、お菓子の作り方を教えてさしあげますよ。だから今日はいつもよりもノルマを課します。いいですね?」
「はっ、はい! 頑張ります!!」
 良い返事です、とラーヘルは笑うと、机の上に積まれた今日の分の仕事の説明を始めました。
 そしてふと、わたしはラーヘルの好きなものを何も知らなかったことに気付くのでした。でもそれも、明日教えてもらえます。
 明日はなんだか、もっとラーヘルを身近に感じられる日になる気がしました。


writer : あいざわ


...happy whiteday and thanks a lot